91歳の母が、ときどきぽつりと呟く。
「友達が、一人もいなくなった。
私より若かったのに…」
私は返す言葉を探しながら、母の横顔を見つめる。
一緒にコスモスを見に行った友人。
地元のお祭りに呼んでくれた友人。

母の中では、
その友達は今も笑い、花を眺め、
お祭りの賑わいの中にいる。
人も風景も、そして自分自身も、
変わっていく。

そんな母のもとへ、
東京で暮らす妹と、娘夫婦が帰省した。
「おばあちゃん、会いたかったよー」
母の笑顔が溢れている。
その一か月ほど前のこと。
母が嬉しそうに言った。
「通販で、暖かい上下の布団を頼んだよ」
帰ってくる娘が、寒い思いをしないように。(まだそれほど寒くないが、、)
何度も流れる通販番組の言葉と、
娘を思う母の気持ちが、ぴったり重なった瞬間!
母は電話をかける。
「シングルと、ダブルを一セットずつ」(母の布団含む)
母よ。
押し入れは、もう毛布や羽毛布団でいっぱいだ。
母が用意したかったのは、布団だけではないのだと思う。
暖かく眠ってほしい。
疲れを取ってほしい。
母は布団にして待っていた。
「味噌汁を飲みなさい」
顔を合わせれば、いつも言う。
私たちがいくつになっても、
母は身体のことを気にかける。

妹の滞在は、三泊四日。
母と一緒に写真を撮っている。
母が笑っている。
その横顔を見るだけで幸せだ。
「さあ、どこに行こうか!」そう言いながら、私の中では行き先はほぼ決まっていた。
自然の中に、どっぷりと身を浸そう。
風に触れ、潮の匂いを吸い込み、水の音に耳を澄ます。
日々の暮らしで眠っていた五感が、ゆっくり目を覚ますような時間を、
みんなで過ごしたかった。
遊覧船に乗り、湾の中をゆっくり進んでいく。
遠くから眺める海もいい。
けれど、水の上に自分の身を置くと、海の広さがまるで違って感じられる。

造船所の湾にゆっくり遊覧船が入っていく、船が目の前に現れた。
見上げながら、巨大な船体に圧倒された。

これほど大きな船が、半年ほどで姿を現すのか、
やがて船は、
この湾を離れ
世界の荒波の中へ出航する。
世界中の港へ荷物を運び続ける。
生まれたこの母なる港には、
二度と戻らない。

その姿を眺めていたら、娘を迎えるために布団を用意した母のことが、ふと浮かんだ。
子どもたちも、それぞれの暮らしへ出ていく。
親の知らない景色を見て、親の知らない苦労を重ねる。
母にできるのは、離れている間も身体を案じ、
寒くないように。
お腹をすかせないように。
母の願いは、いつも暮らしのすぐそばにある。

さぁ、明日は、温泉に行こう。






















